■東広島で沖縄文化
先日、洋風料理ブーゲンで行われている三線教室にお邪魔した記事を紹介しました。東広島で三線を教える方がいらっしゃるんだと興味を持ち、その教室で三線を教えていらっしゃるお二人を12月15日に取材させていただきました。
教室の先生は八重山うた大哲会広島支部支部長で琉球民謡音楽協会三線教師の中村暢之さん。もう一人、沖縄出身の白仁田えみさんです。当たり前ですが、お二人が三線に出会われた経緯は、全く違います。
中村さんは東京のご出身、お仕事で広島にいらっしゃったそうです。三線を勉強したくて、広島市にある広島三線くらぶに通われて、その後、八重山民謡の第一人者である大工哲弘先生に師事し、東広島でも三線ができるようにと「東広島うるま会」の立ち上げにも参加されています。まさに、東広島市での三線文化の開拓者です。
一方で白仁田さんは沖縄音楽が大好きだったお祖母さんの影響で、沖縄で10歳から琉球民謡登川流で学ばれました。12歳の時に民謡コンクールで新人賞を獲られましたが、中学生になるとやめてしまい、就職後、再度勉強をはじめましたが、結婚で東広島に来ることになったそうです。そんなお二人が出会われたのは、2007年にサタケメモリアルホールで行われた大工哲弘さんのコンサート。そこから一緒に活動されるようになったそうです。
みなさん、覚えていらっしゃいますか?西条に「おもろ殿内」という沖縄料理のお店があったことを。そこでよく演奏していたのがこのお二人。もちろん他の方もいらっしゃったそうですが。もしかしたら、演奏を覚えていらっしゃる方もおられるかもしれませんね。
お店で演奏されていた曲の多くはBeginなど沖縄出身のアーティストの曲だったそうですが、もともとは唄三線といって、唄と一体になった民謡を奏でる楽器。同じ沖縄でも本島の琉球民謡だけでなく、宮古民謡、八重山民謡、与那国民謡と島ごとに異なった民謡文化があります。琉球民謡は王室があったということで格式高い音楽ですが、他の各島の民謡は仕事をしながら口ずさむような素朴で気持ちが入る曲なのだそうです。三線はもともとは中国から入ってきた楽器。それが本土に伝わり、三味線という形になったとも言われているということです。沖縄出身の白仁田さんに伺うと、三線が広く日本で愛されるようになる一方で、伝統的な沖縄文化である演奏は失われていっているといわれているそうです。
東京から来て西条で暮らしていた中村さんは、三線が遠慮なく練習できる福富町へ3年前にお引越し。そこでの暮らしにドハマりしているそうで、今は時間を大切にする暮らしを楽しんでいらっしゃいます。おもろ殿内がなくなって、お二人が演奏する機会は減ったそうですが、10月に福富町で行われるアクアフェスタでは演奏が行われています。
中村さんは、ご自宅でも三線の指導をしていらっしゃいますし、イベントなどで三線体験もされることがあるようです。東広島で触れることができる小さな沖縄文化の火を大切にしたいですね。